兼六園

【兼六園の松の傷】松の油で飛行機を飛ばす?ってマジかよ!?

松の傷 アイキャッチ

こんにちは、ヤスモン(@yasumon)です!

皆さんは、松の油で飛行機を飛ばせると思います? 私は、飛ばせないと思いますね。そもそも、そんな試みをした人いるんでしょうかね?

実は、いたんですよ。何と、日本軍です!

敗戦が色濃くなっていた第二次世界大戦の末期、飛行機を飛ばす燃料が不足していた日本軍は、何と、松の木の油で飛行機を飛ばそうとしたのです。

兼六園のスポット「松の傷」は、戦時中の日本軍が松の木から油を採ろうとしてできた傷なんですよ。


ちょっと、痛々しいですよね・・

でも、結果的には、飛行機は飛ばなかったんです。

では、以下に、松の傷について、松の木から採れる油、松の油で飛行機が飛ばせる?について、紹介しますね!

松の傷について

松の傷の看板

松の傷は、第二次世界大戦のときに、日本軍が松の木から油をとろうとしたときの傷跡のことです。

1945年6月、第二次世界大戦では、ドイツ、イタリア、日本などの、いわゆる枢軸国(すうじくこく)の、負けが決まった状態、1945年4月には、イタリアの指導者、ムッソリーニは、射殺され、その2日後に、ドイツの指導者だった、ヒトラーは自殺し、5月には、ドイツ、イタリアが降伏し、唯一、日本だけが、負けを認めず、抵抗していた状態です。

1944年から1945年1月にかけて、日本が侵攻していた、アメリカ領のグアム、サイパン、イギリス支配下のマレー半島やビルマ、フィリピンのルソン島などを、失います。

1945年3月には、日本の小笠原諸島の硫黄島(いおうじま)にアメリカ軍が上陸し、硫黄島が没落。どうじに、アメリカ軍による空襲が本格化し、東京大空襲で、10万人が亡くなり、東京、大阪、名古屋、横浜、神戸などの大都市が、空襲をうけます。

1945年4月には、沖縄で、アメリカ軍との地上戦がはじまり、6月には没落。ほとんど負けが決まった状況での、「松の木」からの油採取だったのでしょう。

日本は、今もむかしも、資源に乏しい国ですから、その輸入のルートを、アメリカ、イギリスなどの、いわゆる連合国軍に抑えられ、破壊されてしまっていたのでしょうね。

その当時、兼六園にあった50本以上の松が、松の油を採られる犠牲になったそうです。

松の木から採れる油

松の傷

松の傷は、日本軍が油を採ろうとしてできた傷ですが、松の木から本当に油がとれるのでしょうか?

松の木からは、本当に油がとれるようで、松の木から採れた油を、松根油(しょうこんゆ)、または、松根テレビン油というそうです。

松根油がどうやって採れるかというと、松を根っこの掘りおこして、その根っこの部分を、いくかの断片に切って、それを高温で燃やして、成分を分離させて、油を採るそうです。

なので、兼六園にある「松の傷」のように、松の木をくりぬいて、油を採るわけではないということですね。

たぶん、この兼六園にある「松の傷」は、戦争で被害にあった松の木、「戦争の傷あと」ということを表現しているのだと思います。

松の木からは、松脂(まつやに)という油のような液体がとれ、おもに、塗料とか香料などに使われます。ひょっとすると、松の根っこを採って、油を採るときに、松脂も油として使えないか実験した可能性もありますね。

兼六園の松の傷は、そのときについた傷かもしれません。

松の油で飛行機が飛ばせる?

飛行機

本当に、松の木で、飛行機を飛ばせるのでしょうか? 結論から言うと、飛ばせないそうです。

第二次世界大戦のときの日本軍のはなしでは、「200本の松があれば、航空機を1時間飛ばすことができる」そうです。

「ゼロ戦を1台1時間飛ばして、どれだけの成果があるのか?」という感じですが、この計算からすると、数千本~数百万の松が必要になります。

要は、松の油は、エネルギー効率が悪すぎて、航空機は飛ばせない、ということですね。

また、松の油を採るには、少なくとも「植えてから10年以上たった松」でないと、多くの油がとれないそうで、さらに油を採るハードルが上がります。

兼六園は、江戸時代に作られたものなので、200本くらいの松が、油を採る対象になったようです。

ところで、なぜ、日本軍が松の油で、ゼロ戦を飛ばそうと考えたのでしょうか?

「ドイツではマツの木から得た、ガソリンで、戦闘機を飛ばしている」との断片的な情報が、1944年7月、日本海軍に伝わったからだそうです。

兼六園の松の油がとられたのが、1945年6月なので、その約1年前のことです。

日本では、それより以前から、松の油を、塗料などに使っていたのですが、その断片的な情報が入ってからは、日本全国で多くの人が、松の木の伐採に駆り出され、多くの松の油がとられたそうですね。

戦闘機の原料に、松の油を混ぜてテストしたこともあったそうですが、エンジンが詰まって、プロペラが止まったりして、実用化はされなかったというのが実態です。

参考文献:
・村上貢、宇佐美孝 「兼六園」(北國新聞社、2013)