兼六園

【兼六園の日本武尊像】ヤマトタケル像がなぜ庭園に? 謎解き明かしたよ!

ヤマトタケル像 アイキャッチ

こんにちは、ヤスモンです!

兼六園の観光スポット「日本武尊像(ヤマトタケル像)」は、明治時代におこった西南戦争で亡くなった、石川県の兵士をたたえるために、建てられたものです。ヤマトタケル像は、多くの人が訪れる人気観光スポットなので、兼六園に行ったら是非行ってみましょう。

ヤマトタケル像は、地上からの高さは12メートル、兼六園内で一番大きな銅像です。ヤマトタケル像の下には、西南戦争(西南の役)で亡くなった石川県の兵士を弔うための記念碑・明治紀念之標(めいじきねんのひょう)があります。

ヤマトタケル像と明治紀念之標(めいじきねんのひょう)の左右には、手向松(たむけまつ)」という、京都にある東本願寺と西本願寺から移されたアカマツが植えてあります。

兼六園のヤマトタケル像は、日本で一番古い銅像とされ、銅像の成分にヒ素を多く含んでいることから、ハトやカラスで汚れない銅像と言われています。

西南戦争は、「明治政府」と、西郷隆盛(さいごうたかもり)ひきいる「昔の薩摩藩」の戦いです。兼六園にヤマトタケル像(日本武尊銅像)がある理由は、西南戦争で亡くなった石川県の兵士を、ヤマトタケルに見立てたからのようですね。

兼六園の人気スポット・ヤマトタケル像について、詳しく見ていきましょう。

ヤマトタケル像(日本武尊銅像)

ヤマトタケル像

兼六園の観光スポット・ヤマトタケル像(日本武尊像)は、地上からの高さは12メートルと、兼六園のなかでは、いちばん、高いものです。

近くでみても、なんでこんな高い像が、兼六園に? というくらい、高いです。

この兼六園にあるヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、明治13年(1880年)に、建てられた銅像で、「西南戦争(せいなんせんそう)」で亡くなった石川県の兵士の慰霊のために作られました。

西南戦争とは?

ヤマトタケル像

兼六園の観光スポット「ヤマトタケル像」は、西南戦争(西南の役)で亡くなった兵士の慰霊のために建てられたのですが、西南戦争はどんな戦いだったのでしょうか?

西南戦争は、かんたんに説明すると、「明治政府」と、西郷隆盛(さいごうたかもり)ひきいる「昔の薩摩藩」との戦いです。

江戸時代には、◯◯藩の藩主がいて、老中などの上級武士がいて、足軽などの身分がひくい下級武士がいて、という感じで、生まれ家で身分がわかれ、特定の人だけが、特権を得ていました。

(今の時代には、考えられないことですね。)

明治になって、そういう特権が、どんどん奪われていって、もちろん、特権を得ていた人たちは、強く反発するわけです。

そのなかでも、特に抵抗していたのが、薩摩藩です。西郷は、明治政府を作った立役者なんですが、意見の対立があって、明治政府を辞めて、薩摩にもどりました。

これに喜んだのが、薩摩藩の特権をもっていた武士たちで、薩摩藩のヒーロー、西郷をかついて、明治政府に戦争をおこしたわけです。圧倒的な人数と、最新の武器をもっていた明治政府には、かなうはずもなく、抵抗むなしく、負けてしまい、西郷は自決しました。

西郷は、じぶんが作った明治政府に、破れるというちょっと悲しい結果になったわけです。

この西南戦争は、日本で最後の内戦といわれ、規模も大きかったのですが、この戦争には、石川県の兵士も出兵し、多くの兵士が亡くなっています。

(なるほど、西南戦争で亡くなった兵士を、ヤマトタケル像(日本武尊像)に例えたのですね。)

明治紀念之標(めいじきねんのひょう)

明治紀念之標

兼六園のビッグな観光スポット「ヤマトタケル像」の下には、明治紀念之標があります。

ヤマトタケル像の下にある明治紀念之標は、西南戦争(西南の役)で亡くなった石川県の兵士を弔うための記念碑(忠霊碑(ちゅうこんひ))です。

明治紀念之標は、西南戦争の政府側の総大将であった有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が揮毫(きもう)したと言われています。

(揮毫(きもう)は、毛筆で言葉や文章を書くことを言います。)

手向松(てむけまつ)と本願寺(ほんがんじ)

東本願寺

兼六園にあるヤマトタケル像(日本武尊銅像)と、明治紀念之標の左右には、「手向松(たむけまつ)」という、アカマツが植えてあります。

このヤマトタケル像の横にある手向松は、京都にある東本願寺と西本願寺から、手向けとして、移されたものです。

手向けとは、「亡くなった人の霊に、ものを供える」という意味で、手向松と呼ばれているゆらいになっています。

ちなみに、この東本願寺と西本願寺は、もともとは、本願寺というひとつのお寺でした。

本願寺が、西と東にわかれた経緯は、たくさんあって、歴史も長いのですが、かんたんに言うと、むかしは、お寺がすごい力をもっていて、武装したりして、勢力があったんです。

本願寺は、とてもおおきなチカラをもっていて、織田信長とはげしく対立し、そのときに、本願寺のなかでも、お坊さんどうしで分裂がおこりました。
織田信長が亡くなり、豊臣秀吉も亡くなり、徳川家康の代になって、ようやく東と西に別れるということで決着がつきました。

ようするに、お坊さん同士の対立で、東と西に別れたということですね!

(兼六園の観光スポット・ヤマトタケル像を深堀すると、色々な事実や背景が出てきますね。)



兼六園にヤマトタケル像(日本武尊銅像)がある理由?

ヤマトタケル像

ヤマトタケルは、超人的なチカラをもった英雄です。身長は、約2メートル、その人間ばなれした能力で、敵を次から次へと倒していきます。

ヤマトタケルは、景行天皇(けいこうてんのう)の息子で、小さなころから、ものすごい力を持っていたため、逆に父から恐れられてしまい、ヤマトタケルがいたヤマト王国から、遠く離れた戦地に放り出されます。

ヤマトタケルは、九州では、ヤマト王国に抵抗する、クマソタケル兄弟を倒し、出雲では、イズモタケルを破り、おおくの戦果をあげて、軍事的な英雄となります。

では、なぜ、兼六園に、兵士の慰霊として、ヤマトタケルを選んだのでしょうか?

西南戦争は、九州でおこなわれた戦争です。
この九州で行われた戦争で亡くなった石川県の英雄を、ヤマトタケルに見たてたようですね。

それが、この兼六園のヤマトタケル像(日本武尊銅像)です。

なので、兼六園にヤマトタケル像(日本武尊銅像)がある理由は、西南戦争で亡くなった石川県の兵士を、ヤマトタケルに見立てたからですね。



ヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、日本でいちばん古い銅像

ヤマトタケル像3

兼六園にあるヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、日本でいちばん古い銅像とされています。

このバカでかいヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、石川県の英雄をたたえるためのものだから、石川県で作ったんでしょう?と思いますが、そうではないようで、富山県の高岡市で作られたようですね。

いくつか説があるようですが、高岡市でつくったものを、石川県に運んだらしいです。
石川県の銅の職人さんよりも、富山県の職人さんのほうが、実績もあって、腕もよかったとか。

ハトやカラスで汚れないヤマトタケル像(日本武尊銅像)

ハトで汚れないヤマトタケル像

兼六園の人気観光スポット・ヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、ハトやカラスなどのフンで汚れない像と言われています。

この兼六園のヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、高さが12メートルあって、まじかで見ることができないので、それが本当なのか、確かめることができないのですが、そういわれてみれば、さほど汚れていない気もします。

工学博士で、金沢大学大学院自然科学研究科の特任教授である、廣瀬 幸雄(ひろせ ゆきお)氏は、2003年に、「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」でイグノーベル賞化学賞を受賞しました。

なにかというと、兼六園にあるこのヤマトタケル像(日本武尊銅像)の傷の痛みなどを調べたとき、銅像の成分に、「ヒ素が多く含まれているとハトなどの鳥が寄り付かない」ことを発見したそうです。

ノーベル賞は、物理学、化学、生理学などで、著名な実績をのこした人に送られる名誉ある賞ですが、イグノーベル賞は、ノーベル賞のパロディ版で、「人を笑わせ、そして考えさせる研究」に対して贈られる賞です。

なので、ハトが寄り付かない銅像の研究は、どちらかというと、お笑い的な要素がつよいものですね。

日本を二分するような、「名誉ある戦い」でなくなった石川県の兵士をたたえた、兼六園のヤマトタケル像(日本武尊銅像)が、お笑いネタで使われてしまったというのは、なんとも、笑えるような、笑えないような話です。

ヤマトタケル像のまとめ

ヤマトタケル像

ここまで、兼六園の観光スポット「ヤマトタケル像(日本武尊銅像)」、についてみてきました。

なぜ、兼六園に、ヤマトタケル像(日本武尊銅像)があるの?
この冒頭に書いた質問ですが、いろいろ調べてみても、その答えはどこにも書いてありませんでした。

兼六園は、江戸時代の加賀藩主の前田家が、代々にわたって作ってきたものですが、いきなり明治時代の戦争で亡くなった人のための、バカでかい慰霊碑があって、違和感を感じる人も多いのではないでしょうか?

じぶんも、しょうじき、あれっ・・・と思いました。

でも、よく考えてみれば、江戸時代のつぎは、明治時代でつながっているし、江戸時代の特権にしがみついた人たちとの戦争が、西南戦争だったのだから、ここにもつながりはありますね。

なによりも、兼六園は、たくさんの人が訪れるところだから、

  • 石川県を代表してたたかった兵士の慰霊碑を、たくさんの人がくるところに建てたい
  • 慰霊碑をつうじて、戦いとか、兵士のことを知ってほしい
  • せっかくなら、日本神話の英雄であるヤマトタケルの像がいい

ヤマトタケル像(日本武尊銅像)は、そういう石川県民の思いがつまっているのだと思います。

合わせて、兼六園のヤマトタケル像(日本武尊銅像)が、ほんとうにハトやカラスで汚れていないのか、よく見てみてくださいね!


参考文献:
・村上貢、宇佐美孝 「兼六園」(北國新聞社、2013)