こんにちは。ヤスモン(@yasumon)です。
兼六園は、石川県金沢市にある、日本を代表する庭園で、外国人も多く訪れる人気の観光スポットです!
「兼六園? ただの庭園でしょ?」と思っていませんか? 正直、自分も初めて訪問した時は、そう思ってました!
でも、兼六園の見どころや、各スポットの裏話などを知るうちに、「へ~、そんな背景があったんだ」とか「金沢城を守るために作られたんだ~」とか、段々と面白くなったんです。
例えば、兼六園で一番有名な琴柱灯籠は、一度何者かに破壊されているんですよ。それに片方の脚も折れてる。でもそれがかえって風情ある景観になっているです。
あと、海石塔は、普通の6重の塔なんだけど、「豊臣秀吉が朝鮮戦争から持ち帰って、前田利家に贈った」と言われてるんです。
では、兼六園の見どころを、いくつかの裏話と共に紹介しますね!
見どころで紹介したスポット以外は、「その他のスポット」にまとめています。
見どころマップ
今日紹介するのは、兼六園の見どころとなる、下記11つのスポットです。
①琴柱灯籠 ②虹橋 ③霞ヶ池 ④唐崎松 ⑤ヤマトタケル像 ⑥山崎山 ⑦花見橋 ⑧海石塔 ⑨翠滝 ⑩噴水 ⑪虎石
【琴柱灯籠】金沢の顔!
金沢・兼六園の顔である琴柱灯籠は、楽器の琴(こと)の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ていることから、この名前が付きました。
実は、琴柱灯籠の2脚の足は、長さが違っているんです。1脚は高さ約1.9メートルで、霞ヶ池の水中にあり、もう1脚は高さ約0.8メートルで、平らな石の上に置かれています。
江戸時代には、2脚の足は同じ長さだったそうですが、その後、何者かに破壊され、再度作り直されたんです。
なぜ、脚の長さが違うのかについては、はっきりしたことは分かっていないのですが、何者かが脚を破壊したという説もあれば、意図的に脚を折ったという説もあります。
色々と事情がある琴柱灯籠ですが、アンバランスな形が、かえって風情あるんですよ!
【虹橋】美しい曲線美!
虹橋は、琴の胴に似た美しい曲線を描いている橋で、別名「琴橋(ことばし)」と呼ばれています。
虹橋には、赤い色をした赤戸室石が使われていて、長さが約5メートル、幅1.1メートルの一枚橋です。
虹橋は、琴柱灯籠の手前にあるんですが、多くの観光客が写真を撮るスポットで、橋の上に座ったりポーズをとったりして、写真を撮っていますよ!
兼六園は、紅葉の名所でもあるんですが、紅葉シーズンには団体客も多くて、ほとんどの人がこの虹橋を渡るんですよ。
【霞ヶ池】園内最大の池!
霞ヶ池は、広さが約5,800平方メートル(1,800坪)の園内で最も大きな池です。
兼六園は、もともと金沢城の防御を兼ねて作られたため、霞ヶ池の水深が約1,5メートルある深い場所には、「水落とし」と呼ばれる仕掛けがされているんです。
この「水落とし」は、非常事態の時に、霞ヶ池の水が一気に流れだし、金沢城と兼六園の間にあった百間掘(現在のお堀通り)の水位を上げるために作られたんです。
【唐崎松】雪吊りが美しい!
唐崎松(からさきのまつ)」は、加賀藩の第13代藩主・前田斉泰(なりやす)が、琵琶湖にある唐崎松から、タネをとりよせて、育てたものです。
この斉泰さんは、唐崎松だけでなく根上松も育てているので、盆栽好きな藩主だったのでしょう。
唐崎松は、毎年8月になると、剪定(せんてい)という、木の枝を切ったりする作業が行われ、11月に入ると、枝が雪で折れないように、雪吊り(ゆきづり)が行われます。
雪吊りには、いくつかのやり方があるそうですが、兼六園の雪吊りは、「リンゴ吊り」というやり方です。松の木の中心に、「はしら」をたてて、その「はしら」から、松の枝に、放射状になわを張るものです。
唐崎松の雪吊りは、冬の訪れをあらわす風物詩として、テレビなどで紹介されるんですが、とても風情がありますよ!
【ヤマトタケル像】なぜ兼六園に?
日本武尊像(ヤマトタケル像)は、西南戦争(明治政府と西郷隆盛の戦い)で亡くなった、石川県の兵士をたたえるために、建てられたものです。
地上からの高さ12メートルと、園内では、一番高いです。
実は、ヤマトタケル像には、ヒ素が多く含まれていて、ハトやカラスなどのフンで汚れない像とも言われています。
フンで汚れないことを発見したのは、イグノーベル賞(ノーベル賞のパロディ版)を受賞した金沢大学大学院の特任教授でした。
確かに、近くで見ると鳥のフンなどが付いてなくて、とてもツヤツヤしてキレイですよ!
【山崎山】総構えの跡がある!
山崎山は、約9メートル、周囲が約160メートルの築山です。
兼六園には、その昔、金沢城を守るためのの役割があって、山崎山には、土の堀で作った総構えの跡が残ってます。
また、一説には、1599年(慶長4年)、加賀藩が、存亡の危機にあった時に作られたとも言われています。
山崎山は、「紅葉山」とも言われ、紅葉シーズンには、山頂から素晴らしい景色が見れますよ!
【花見橋】桜の季節は必見!
兼六園には、小さな川(曲水)にかかる橋がいくつかあって、最も風情があるのが花見橋です。
花見橋は、名前の通り花が見れる橋で、桜の季節は特にキレイな景色が見れるんです。若い女性は、着物を着て写真を撮っている人も結構多いですね!
また、花見橋近くは、湿地帯のようになっていて、5月・6月に咲くカキツバタの花も、キレイに見えますよ!
【翠滝】本当に美しい!
翠滝は、高さが約6.6メートル、幅が約1.6メートルの人口的に作ったとは思えない、優雅な滝です。
翠滝は、「紅葉滝」とも呼ばれ、紅葉シーズンには、美しい紅葉が見れますよ!
翠滝周辺にあるカエデの古木は、加賀藩主が遠方から取り寄せたと言われています。
【海石塔】コケが渋すぎる!
海石塔は、高さが約4.1メートルの6重の塔で、瓢池(ひさごいけ)に浮かぶ島に建っています。
3種類の色(黒色、青色、淡黄色)の異なる3つの石で出来ています。
海石塔がどこから持ってこられたかについては、下記2つの説があります。
- 金沢城の庭園にあった13層の石塔の一部を移したという説
- 武将の加藤清正が、朝鮮出兵のときに、持ち帰ったものを、豊臣秀吉が、加賀藩主の前田利家に贈ったという説
地味な塔なんですが、苔がなかなかいい渋みを出していて、紅葉シーズンやライトアップ時には、素敵な感じになりますよ!
【噴水】最新技術の逆サイフォン?
噴水は、1861年(文久元年)、第12代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、金沢城の二の丸につくる予定だった噴水の、試作としてつくられたものです。
この噴水は、「ある場所にある水を、離れた場所に水圧をつかって流す」という日本で初めてとなる「逆サイフォンの原理」を使って、作られたんですよ。
日本で一番古い噴水とも言われています。
この噴水は、動力ではなく、自然の力で水を上げていて、水の勢いが強く、キレイで美しいのが特徴ですね!
【虎石】魔よけの石!
虎石は、魔の方向を睨んで、兼六園を守る「魔よけの石」と言われています。
虎石は、虎が前足を低くして吠えている姿に似ていることから、この名前が付けられました。
どちらかというと虎というよりは、子犬みたいな感じで可愛いですよ!
その他のスポット
兼六園の見どころで紹介しきれなかったスポットについて、まとめました!
その他のスポットは、下記22(蓬莱島、眺望台、雁行橋、七福神山、根上松、芭蕉の句碑、氷室跡、沈砂池、せきれい島、龍石、梅林、松の傷、銅像の台座石、ラジオ塔、瓢池、夕顔亭、伯牙断琴の手水鉢、竹根石手水鉢、栄螺山、獅子巌、曲水、辰巳用水)あります。
以下に、紹介しますね!
- 【蓬莱島】不老不死の島!
- 【眺望台】桜がすごくキレイ!
- 【雁行橋】雁にそっくり!
- 【七福神山】福があるかも!?
- 【根上松】パワースポット!
- 【芭蕉の句碑】奥の細道の跡!
- 【氷室跡】ice house!
- 【沈砂池】兼六園のインフラ?
- 【せきれい島】意味が深すぎる!
- 【龍石】魔よけの石!
- 【梅林】200本の梅の名所!
- 【松の傷】まさか松油で飛行機?
- 【銅像の台座石】100年使われた?!
- 【ラジオ塔】地味すぎる(^^;
- 【瓢池】一番古いスポット!
- 【夕顔亭】味がありすぎる!
- 【伯牙断琴の手水鉢】意味が深い!
- 【竹根石手水鉢】海の百万石が持ってきた?!
- 【栄螺山】まさに貝のサザエ!
- 【獅子巌】ライオンに似てる?
- 【曲水】庭園なのに美しい川!
- 【辰巳用水】本当の目的は防衛?
蓬莱島は、園内最大の池「霞ヶ池」に浮かんでいる島です。
蓬莱島は、加賀前田家の永遠の繁栄を願い、霞ヶ池を海に見立て、蓬莱島を不老不死の島である神仙島に例えて、作られているんですよ。
不老不死は、江戸時代も今も、永遠のテーマなんですね!
眺望台は、兼六園の名前の由来となった、相反する六つの景観のうち、「眺望」を表しているスポットなんです。園内で唯一、外を眺めることができる場所ですね。
正面には、標高約140メートルの卯辰山、左側には、内灘砂丘(うちなださきゅう)、右側には、標高が約900メートルの医王山(いおうぜん)が見られます。
あと、桜の季節は、すごくキレイなのでインスタ映えしますよ!
雁行橋は、11枚の石が、雁(がん)が列を組んで、飛んでいる姿に似ていることから、この名前が付いています。雁は、カモ科の鳥のことですね(^^)
雁行橋の石は、カメの甲羅に見えることから、亀甲橋とも呼ばれますね。
日中はかなり地味ですが、ライトアップ時には、いつもとは違う鮮やかな色合いの雁行橋を見れますよ!
七福神山は、七福神(恵比寿・大黒天・寿老人・福禄寿・布袋・毘沙門天・弁財天)に見立てた7つの自然の石が置かれているスポットですね。
七福神山は、第12代藩主・前田斉広(なりなが)が作った竹沢御殿(たけざわごてん)の庭の一つです。七福神山の配置は、当時のまま残っているんですよ。
竹沢御殿は、取り壊されてしまったんですが、斉広の隠居処でした。部屋の数が2百、広さが4千坪もあり、大きくて豪勢なものだったそうです。
高さ約15メートル、松の根が地上に露出した大きなクロマツで、兼六園のパワースポット的な存在なんです。
実は、根上松は、第13代藩主・斉泰(まえだ なりやす)が育てたものなんです。
根が露出しても枯死しないので、たくましい生命力があると言われているんですよ。以前は、商売繁盛などにご利益があるとして、根上松の根に触れた人が多くいたようです。
芭蕉の句碑は、金沢を旅した「松尾芭蕉」の俳句が、石に掘られているスポットなんですよ。
「芭蕉の句碑」には、「あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風」という文字が刻まれています。
「夏の日差しが、あかあかとまぶしいけど、吹いている風は秋を感じさせる」という意味で、当時は今より、夏や秋の到来が早かったのかもしれませんね。
1689年(元禄2年)3月27日、江戸の深川を出発した松尾芭蕉は、栃木の日光から福島、仙台に行き、それから内陸を通って、日本海に出ます。山形、新潟、富山と下に下り、松尾芭蕉が金沢に着いたのは、7月15日。夏の暑い時期です。
松尾芭蕉は、金沢で9泊したあと、石川県の温泉地・山中温泉に向かいました。
氷室跡は、冬の季節に積もった雪を保管していた場所です。
江戸時代には、冷蔵庫や冷凍庫がなかったため、冬に積もった雪を氷室に保管し、旧暦6月1日(現在の7月1日)に氷室開きを行い、氷室の雪を保冷や氷として利用していたんですよ。
氷室を活用した夏の氷はとても貴重だったようで、主に、藩主や側近など偉い人たちが利用したようです。
金沢では、7月1日を「氷室の日」と呼び、無病息災を願って、氷室まんじゅうを食べる習慣が残っていますね。
沈砂池は、園内を流れる曲水の入口にあって、砂やゴミを取りのぞく池です。
観光スポットというよりは、兼六園のインフラ的存在ですね(^^)。
せきれい島は、人生の三大儀式である誕生・結婚・死を表している島なんです。「夫婦島(めおとじま)」とも呼ばれていますね。
鶺鴒島は、鳥の「セキレイ」が、日本神話の「イザナギ」と「イザナミ」に男女の結合の仕方を教えた、という言い伝えからこの名前が付いています。
鶺鴒島の正面には、「三社」と刻まれた鳥居があって、この鳥居は、結界で、鳥居より内側を聖域にしていると言われていますね。
鳥居より内側の聖域の場所には、真ん中に歌碑(かひ)、歌碑の右にある石が女性、左にある石が男性を表す陰陽石があり、この陰陽石は「誕生」を表しています。
陰陽石の後ろには、右に雌(おす)、左に雄(めす)を表す相生(あいおい)の松が植えられていて、この松は「結婚」を意味しています。
鳥居の右手にある五重塔は、墓のことで「死」を意味しています。
龍石は、兼六園を守る魔よけの石で、石の形が龍に似ていることから、この名前が付けられました。
龍が、灯籠と木の周りを囲んでいる感じですね。龍石と共に、虎石・獅子石も、「魔よけの石」と呼ばれ、また、兼六園の三名石とも言われます。
梅林は、1968年(昭和43年)に、明治百年記念として全国の梅を集めて作られたんですよ。
兼六園は、紅葉・桜の名所であるとともに、梅の名所でもあるんです。
兼六園の梅林には、約200本の梅が植えられていて、白梅が約130本、紅梅が約70本あり、梅の季節には、美しい景色を見ることができますよ!
松の傷は、戦時中の日本軍が松の木から油を採ろうとしてできた傷なんです。
何と、日本軍は、第二次世界大戦の末期には、飛行機を飛ばす燃料が不足していたので、松の木の油で飛行機を飛ばそうとしたのです。
結果的には、燃料効率が悪すぎて、飛行機は飛ばせなかったんですけどね。
その当時、兼六園にあった50本以上の松が、松の油を採られる犠牲になったそうです。
銅像の台座石は、高さ5.5メートルのヤマトタケル像(日本武尊像)を支えていた石のことですね。
1991年(平成3年)、ヤマトタケル像を修復をしたときに、銅像の台座石のひびわれがひどく、新しいものととりかえられたそうです。
ヤマトタケル像がつくられたのは、1880年(明治13年)のことなので、約100年以上にわたって使われていた、ということになりますね!
ラジオ塔は、ラジオが普及していなかった1933年(昭和8年)に、日本放送協会(NHK)が、公共のラジオ放送を広めるために設置<したものです。
当時は、日本全国の公園などに、ラジオ塔が設置(約全国450か所)されたようで、その対象として兼六園が選ばれたようです。
ラジオ塔の中にはラジオの受信機が入っていて、その当時は、名古屋の放送を受信し、流していました。
兼六園のラジオ塔は、灯篭型で、灯籠部分は、木で作られています。地味なスポットですが、兼六園の景観に、見事に調和しているんですよ。
瓢池は、兼六園の中で、最も古い時期に作られたスポットです。霞ヶ池に次ぎ、2番目に大きな池で、2500平方メートル(760坪)の広さがありますね。
瓢池は、「ひょうたん」に形が似ていることから、この名前(瓢=ひょうたん)が付けられています。
瓢池には、中島と岩島という2つの島があり、現在陸続きになっている夕顔亭も昔は島になっていたんですよ。
中島・岩島と、夕顔亭があった島の3つの島は、不老不死の島・神仙島に似せて作られたものです。
夕顔亭は、1774年(安永3年)に、11代藩主・治脩(はるなが)が建てた茶室で、茶室の次の間に、夕顔の透かしがあったことから、この名前が付けらたんですよ。
夕顔亭は、当時の蓮池庭にあった4亭のうちの1つで、茶室の中に入れませんが、当時と変わらない姿を見ることができますね。
伯牙断琴の手水鉢は、高さ45センチ、直径85センチあり、金細工の有名な職人・後藤程乗 (ごとうていじょう)に、作らせたものと言われています。「程乗手水鉢」とも呼ばれますね。
伯牙(はくが)というのは、人の名前で、中国の伝統楽器である「古琴(こきん)」の名人だったんです。
伯牙は、古琴の演奏をいつも聞いてくれた、よき聴き役の鍾子期(しょうしき)が、亡くなってから、琴を弾くに値する人がいなくなったと思ったそうです。
そのあと、伯牙は、まったく琴を弾きませんでした。
伯牙断琴とは、「とてもふかい関係の親友を失った悲しみ」「なれ親しんだ物事や人と決別すること」などを意味するのでしょうね。
竹根石手水鉢は、ヤシ類の茎と根っこの化石なんですよ。
加賀の商人で、海の百万石と言われた豪商・銭屋五兵衛(ぜにやごへい)は、海外から持ち込んだと言われています。
銭屋五兵衛は、海外との貿易を盛んに行っていて、オーストラリアにあるタスマニア島に土地を持っていたという説があるすごい人なんですよ。
栄螺山は、高さが9メートル、周囲約90メートルの小さな山で、山頂までの道が、貝のサザエのようにぐるぐる回っていることから、この名前が付けられたんです。
12代藩主・斉広は、現在の栄螺山があった場所に、自分の隠居処となる竹沢御殿を作ったんですが、13代斉泰(なりやす)は、斉広が作った竹沢御殿を取り壊してしまいます。
斉泰は、その跡地に霞ヶ池を作ったんですが、栄螺山は、その霞ヶ池を掘りひろげたときの、土を盛って作られたものです。
山頂には、三重宝塔と、雨を避けられる避雨亭があって、山頂からの眺めは素晴らしいですよ。
獅子巌は、金沢市に流れる犀川にあった自然石で、兼六園を守る魔よけの石とされていますね。
石の形が、ライオン(獅子)に似ていることから、この名前が付けられました。
獅子巌は、金沢城の玉泉院(ぎょくせんいん)の庭園に置いていたものを、兼六園に移したと言われてますね。
曲水は、海抜約53メートルの兼六園内を流れるキレイな川のことです。
曲水は、その名前のとおり、「曲がりくねって流れる水」で、庭園の水とは思えないほど、キレイなんですよ!
曲水の水がキレイなのは、金沢を流れる犀川(さいがわ)の水を源泉とする「辰巳用水」から水を引いているからなんです。
辰巳用水は、江戸時代に作られた、全長11キロメートルの用水路です。
辰巳用水は、1632年(寛永9年)に、第3代藩主・利常が、板屋兵四郎に命じて、作らせたものです。
金沢は火事が多かったというのもあるんですが、辰巳用水を作った本当の目的は、金沢城の防衛力を高めるため(お城の内堀や外堀に水を満たすこと)だったんですよ。
まとめ
かなり長い記事になってしまいましたが、興味があるスポットはありましたか?
兼六園は、東京などの都会から見ると、かなり辺鄙な場所(北陸)にありますよね。一生に一回しか行けないかもしれません。
せっかくの兼六園だから、ちょっと知識を付けて、より楽しく観光してくださいね!